SSブログ

ずっと、ずっと、あなたのそばに [原作]

「いま、会いにゆきます」の澪の側からの物語。原作の後半部分とほぼ同じ。
サブタイトルには"映画「いま、会いにゆきます」─澪の物語"とある。
しかし、ストーリーは映画ではなく原作のそれ。映画のノベライズを期待した人には羊頭狗肉である。

しかし、「いま、会いにゆきます」のキモである澪の回想・謎解きのこのパート、そこだけを手軽に読むには充分である。

人が死に、そして摩訶不思議にも生き返り(本当は違うが)、そしてまた別れる。
悲しい、切ないストーリーをこのパートが別のものに変える。
それは、読み手によって差異はあるだろうが、何とも言えない心地よい風が吹くような、決して悪くはない気分にさせてくれると思う。

澪は知ってしまった、自分の未来を。
巧と一緒になるのは、未来がわかってたから。「絶対」があったから一緒になった。
しかし、その「絶対」は澪自身の運命も。。。
その、澪が決断する時の気持ちを想像するに、一種の感動を覚えずにはいられない。
「感動」、安っぽくも聞こえ、どこかのボンクラ首相も安売りをしていたこの言葉、普段は使わないよう使わないよう意識しているのだが、この言葉以外に適切な言葉が見当たらない。

別れがあるものの、Happy Endな気持ちにさせてくれる「いま会い」、
どっぷりハマりたい人向けの166ページです。

若月かおり 小学館 2004年11月1日 初版第一刷 ISBN4-09-408029-5


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

いま、読みおえました [原作]

澪と巧と佑司の奇跡の6週間。
映画を、しかも2回見てからの原作。
そこにはしっかりとした映像があり人物があり声があった。
記憶の中にある感情と重ね合わせながら読んだ。同じであった。

比べながらも読んだ。
ロケの都合、設定の都合、脚本の都合。
原作から省略されたシーンも多かった。
書き換えられたシーンも多かった。
でも、だからといってどちらかがそれにより優劣に差がつくとか、
そういうものでもない。

この話の肝は、やはり後半の澪の側からの回想というか説明、その部分かと。
これがあって色んな「何故?」がはっきりとする。
しかし単なる謎解きではない。
この部分は、読み手によって感想は異なると思う。
私は、えも言われぬいい気持ちになった。
たぶん、多くの人が望む答えを、作者が澪に用意したから、そして私も多くの人の一人だろうから。

市川拓司の書く文章について
稚拙な文を書く私が言うのも何ですが、表現に乏しいところが多々ありました。
冗長な表現も見受けられます。
情景が浮かぶような文を書いているか?
これは残念ながら映画のシーンが頭に残っていますので何とも言えません。
しかしながら、文章の巧拙よりも、かようなストーリーを書き上げる、
そこが素晴らしいのかと思います。

いま、会いにゆきます。

流行語対象などという、軽薄でどうでもいいものには興味を持たれたくもないが、私に取っては、かなり印象に残る9個の文字と1個の句点。
忘れることのできないフレーズになると思います。

ま、慣れない批評などヤメにして、いい気持ちで眠りにつこうと思います。

いま、会いにゆきます 市川拓司 小学館 2003年3月20日 初版


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。